- History Of CHENEY -
1886年、CHEANEY社は設立されました。初代ジョセフ・チーニーは会社を設立する数年前までB.RILEYという工場の工場長をしておりました。
ヴィクトリア女王在位39年目の年、彼は運を試すためにノーザンプトン州のデスバラ-駅に続く通りに
J.CHEANEY, BOOT & SHOEMAERSと言う名の小さな工場を開きました。
ノーザンプトンは高品質の革靴の産地として、世界の識者には良く知られていますが、特にここ50年ほどでその評価は高まっています。
しかしながら、1つの産業としてそのように高い評価を得るには実際にはもっと時間が掛かっています。
1800年代になり、初めて家内工業的な靴生産が徐々に合理化され工場化された生産が始まりました。
ノーザンプトンにはきちんと組織化され100年以上運営されている工場が数多くありますが、偶然というか、極めて希なことですが
全ての工場が高級紳士靴の生産を行っております。
1800年代の後半は幹線道路沿いに並ぶ小さな町や村が靴産業に支えられ発展してゆきました。
そしてチーニー社のあるデスバラー(DESBOROUGH)もそのうちの1つです。その当時地元の多くの人々は革靴製造に従事しておりましたが、
それらは組織だった製造方法ではありませんでした。彼らは自宅の庭の片隅にあるSHOP(ショップ)と呼ばれる小さな作業場で
靴製造に必要な一行程のみを作業し、次の作業工程の為にその半製品を別のSHOPに送っていました。
完成するまでに幾つかのSHOPの行程を経た靴は最終的に中央の集荷所に集められ出荷されてゆきました。
集荷体制が完備する以前には地元の顧客のみ対象とした地場産業でしたが、デスバラー及び他のノーザンプトンの都市が大都市に続く幹線道路に面していた事、
又鉄道の便も良かったこともあり、産業としての靴製造が確立されました。そのような状況の中で、一時デスバラーでは7つの工場が稼動しておりました。
1890年にジョセフの長男のARTHUR(アーサー)が入社しそして1896年、現在の工場に移転しました。
この新工場移転により靴製造に必要な全ての行程が一カ所で行われるようになりその後の40年近くにわたり飛躍的な成長を遂げました。
1962年新工場が拡張されるまで、チーニー家の邸宅は工場の敷地内にあり、またジョセフ・チーニーは地元の議員として
また敬虔なクリスチャンとして良く知られ積極的に地元に貢献しておりました。
第一次世界大戦の頃のチーニー社の生産量は約2,500足/週で、その後順調に合理化を行いながらその後3代にわたり靴製造に専念し現在に至っております。
現在のチーニー社では200人以上の従業員を抱えるまでに成長し、高度な技術を駆使し、又よりきめ細かいマーケット・ニーズに答えられるよう
生産体制が整えられております。そして英国内のみならず世界各国への輸出も手掛け品質の面でも高い評価を受けるようになりました。
また2009年8月、同じく英国紳士靴メーカーであるチャーチで財務担当取締役を務めていたチャーチ創業家出身のJonathan Church (ジョナサン・チャーチ
同じくチャーチ創業家出身で工場長を長年務めたWilliam Church (ウイリアム・チャーチ/)がチーニーの全株をプラダグループから買い取り、
社名を「CHEANEY SHOES LIMITED / チーニー・シューズ・リミテッド」と改め、共に代表取締役に就任しました。
・CHEANEY【チーニー】より、CAIRNGORM UR / LAST 4436 Fのご紹介です。
日本展開では最もクラシックなLAST4436を使用した「CAIRNGORM U R」
傷・汚れ(水濡れ)にも強い大粒のシボが特徴のカントリーグレインレザーを使用し、アウトソールにはコマンドソールを採用することにより、荒れた路面や雨にも対応できるようにしています。また、大きめのヒールリフトと、360°出し縫いを掛けたグッドイヤー・ウェルテッド製法が堅牢性と安定性を向上させ、さらにダブルソールにすることにより、ヘビーユースにも耐えられ、永く愛用することができます。
中でも「CAIRNGORM U R」は、一見キャップトゥに見えるイミテーションのツインステッチや、サイドの切り返しのデザイン、タンの羽根を縫いつけること(CAIRNGORM
U Rのみ)で、小石や水が入りにくいディテールを取り入れるなど、細部まで手の込んだこだわりの仕様が随所に施されています。
そして最も特徴的な仕様が、存在感を放っている「ヴェルトショーンウェルト仕様 」です。ウェルトとアッパーレザーの隙間をなくすため、アッパーレザーをウェルトの上側に縫い付けることでコバを一体化させ、雨の浸入を防ぎます。熟練した職人の技と専用の機械が必要になるため、1週間でわずかの生産しかできず、非常に手の込んだ作りとなっています。
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